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nakano DM

老いの独白

 ひとは加齢とともに枯れて、静かに達観するのが理想らしいが、私のような凡愚は、日々の単調な作画生活の中で、絵の出来の良し悪しに一喜一憂しながら暮らしているだけです。
 油絵に熱中、描いて発表して六十余年。大戦後のサロン・ド・メェやアンフォルメルなど、海外美術運動に影響されたこともありましたが、平明な表現になって40年経ちます。下町の運河風景、家族像、市井の人間像、現実に即し心に浮かぶ想念を、愚直に描いて来ました。80年代に「豊饒シリーズ」というのを描きましたが、左翼の画家たちに叩かれました。この国の豊かさを、リベラルな立場で絵にしつづけたのですが、幸に評価して下さる人もいて救われたのをおばえています。
 近作の「昭和の記憶シリーズ」を描いていると、戦争中のあれこれが蘇りました。空襲でわが家が焼け、火炎の中をくぐり抜け、かろうじて生き延びたことは奇跡です。戦争ほど愚かなものはない。旧制中学卒業時、美校受験用の内申書を請求すると教頭こ「この戦時下、画家志望とは非国民だ」と言われ引き下がった。芸術の大学などひとつも無い、文化軽視の時代です。
 現在は平和で自由、囚われることなく好きに描くことができる。縁起が悪いと言われても親友の葬送画や亡友の顔を描かずにいられない。そういう絵が商業的な会場にふさわしくないことが判っていてもです。出品する変哲もない小品の外国風景は、見る側の目と心に安らぎを求めているのでしょうか。
 戦後の自由美術が私の出発点だが、優れた先輩たちや有能な仲間に囲まれ、得難い刺戟をうけた。美大で教えるのを誘ってくれたのも、麻生(三郎)さん、森(芳雄)さんです。ムサビの同世代の教員も敬愛する人たちでしたが、いまは鬼籍に入った方が多く淋しいかぎりです。しかし卒業生が国内外のさまざまなジャンルで活躍しているのに救われます。
 いま私は85歳、絵と同様に孫の成長が楽しみです。20代のはじめに画家として自立した生活に入ったが、その道は平坦ではなかった。老いて尚、日々絵筆を握れる不思議さ、幸せを有難く思う。多年にわたり多くの方々が応援して下さり感謝しています。
 老いの独白を、ご挨拶に代えさせて頂きました。